1101
キリスト教教会での告白には特別な意味がある。
それは人間に向けて語るのではなく、神に語る。それはカウンセリングの本質である。
共感的理解、自己一致、受容、無条件の尊重、配慮、自己受容、自己開示などがカウンセリングの条件とされるものであるが、教会の告白にはこれらを理想的に満たす条件がある。
1102
カウンセリングで何が大事か、何が原則かという問題についてはいろいろなレベルで答えがある。
?もっとも低級の答えは、「自分の考えを押しつけず、クライエントの話を傾聴する」といったものである。カウンセラーの「自分」を消去することが求められる。ただ単に傾聴と受容になってしまう場合もある。
?しかし受容だけでは務まるはずもないので、ときに対決・説得・助言の場面も必要になる。しかしこれと「自分の考えを押しつけない」こととの違いを明確に意識していなければならない。これは難しいが、結局高いレベルの常識があるかどうかということになるだろう。しかしそのような世間の常識というものは、世間で世間並みに仕事をしているからこそ得られるのであって、診察室で話を聞いているだけでは充分に身につかないものかも知れない。カウンセラーは(たとえば)保母さん以上に世の中や人間について知っているかといえば、疑わしい。
カウンセラーは何を知っているのだろうか。何を与えられるのだろうか。それが問題である。
?さらに高級になると、再びカウンセラーの「自分」というものが消える。
?さらに高次になると人間の深い部分での交流になる。これは実際の社会生活の中でも数多くは存在しない。
1103
カウンセリング理論
精神分析理論、自己心理学、行動主義理論、実存主義、特性因子理論、交流分析、認知理論、集団療法理論、家族療法理論などがある。どれもたいして感心しない。
1104
来談者中心療法
治療者中心になる場合が少なくないので、心に留めておいて有効な言葉。
よいカウンセリングを言葉で抽象的に定義することは難しい。要するに、相談者の人生にとって本当に必要なものを提供していればよい。それが何であるかは、さまざまである。来談者の、現在と未来とどちらを重く見るか、その点ですでに難しい判断が横たわっている。
治療者は患者の人生になぜどのようにかかわろうとしているのか、最大限謙虚に反省してみるべきである。
1105
カウンセリング・マインド
患者が自己発見、自己受容、自己選択、自己決定、自己実現などをするに際して、そばにいて積極的な暖かな関心を示しながら共に考え感じ悩む用意が常にある心の状態。まず治療者自身に心の余裕がなければならない。
1106
カウンセリング
学生相談室などで大切なことは、まず第一段階として、病気が関係していないかどうかを診断することである。精神分裂病と神経症の一部は青年期に好発する。最近はうつ状態も少なくない。病気の可能性が除外できたら、受容的なカウンセリングでも、場合によっては教育的な精神療法でも、侵襲的な集団療法でも試みればよいだろう。
1107
核家族
大家族に対して、夫婦と子供だけで構成されている家族。精神病患者の場合でも、おじ・おばの立場での人間付き合いが救いになると指摘されることもある。また、母親に充分な母親機能がない場合でも、大家族内の女性が代行した昔と違い、現在では母親の機能欠損が直接に子供に影響してしまう。このような点で、治療環境を考える上でも大切な視点である。女性問題を考える上でも大切な変化である。大家族制は女性を圧迫し、核家族制で男女は同権に近づき‥‥と公式的に語られる。
日本では農村型封建的大家族制から、都市型核家族制に移行した。明治時代の小説の主題のひとつに「家族制度からの脱出」などがあり、文学史などで習うが、一向に切実に響かない。「西洋文明との出会い」「西洋と東洋の統合」なども今では切実に響かないように思う。お年寄りたちはまだそんなことを商売の種にしているけれど。
1108
過剰適応
over-ajustment
人間はいくつものアイデンティティを統合して自己アイデンティティを確立しているが、その中の単一のアイデンティティだけが自己アイデンティティ全体と等しくなるほどに重要になった場合をいう。たとえば、会社人間という側面だけが強まり、家庭人としてや趣味人としての側面がほとんどなくなった状態を過剰適応状態といい、一面的に特殊化しているだけに変化やストレスに弱い傾向がある。会社人間の父の他には、よい母親を演じる母、よい子を演じる子供などが過剰適応の例である。言葉を換えれば、「単線の人生の脆さ」である。
1109
家族療法
広い意味では家族を対象とする集団療法を指すが、狭い意味では特にシステム論に強く影響を受けた療法を指すことがある。システム論では、家族の個々の成員には異常はないが、家族間の関係の仕方に問題があるために、家族の一部に精神障害が発生していると見る。この立場では、症状を呈している一人を治療しても意味がなく、家族全体のシステムを正すことが必要になる。精神医学の世界では、昔流行したらしいが現在は主流とはいえない。
システム論を離れて、精神障害の場合に療養環境としての家族に問題がある場合、家族全体を精神療法の対象にする場合がある。また家族教育でhigh-EEの問題を教育する場合がある。
1110
過敏性腸症候群
irritable bowel syndrome
器質的原因なしに下痢・便秘・腹痛が続くもので、心身症のひとつ。神経性胃炎などとも呼ばれることもある。二次的に痔になることもある。薬剤が効く場合もあるが、カウンセリングや自律訓練法などが効く場合もある。
1111
カルチャーショック
異文化との接触がもたらす精神的不安状態。価値観や社会習慣の違いが不安を喚起する場合がある。時間がたてば受容される。そのプロセスは、過度の理想化(または嫌悪)から次第に現実的な理解に移行するものである。個人のレベルでも生じるし、集団でも生じる。日本の場合には明治以来、西洋文明に対するカルチャーショックをどのように受容消化するかということが国家的課題であった。
カルチャーショックに重なる形でアイデンティティの問題が生じている場合もある。
たとえばある韓国人は、日本人はkindだけどfriendlyじゃないと言って泣いていた。またある韓国人は、私は韓国人でもないし日本人でもない、中間人ですと語っていた。前者はカルチャーショックの形で、後者はアイデンティティの問題の形をとっている。いずれも異文化の中で生きる人間の問題である。
1112
?要素の記述=思考・感情・意欲・行動・社会適応・‥‥
?前景症状(状態像)=離人(S,D,N,P)、不安(S,D,N,P)、‥‥
?背景病理の推定=病前性格、経過の特性、家族歴
?薬剤選択=まず前景症状に対して処方する気持ちであたる。例外として、背景病理に対して処方する。
?精神療法方針=退行促進的か、再構成的かをはっきり意識する。分裂病プロセスを再燃させてはいけない。
1113
分裂病の初期が疑われるとき
?シュナイダーの一級症状やブロイラーの4Aを参考にする。
?急性期の鑑別診断として大切なのは、器質性疾患の除外。意識状態はどうか、身体に異常所見はないか、診察する。脳腫瘍や中枢神経感染症、ホルモン疾患、薬物中毒などの可能性がある。
?器質性疾患の可能性がなければ、あとはうつでも神経症でもあまり変わりはない。
?次に大切なのは入院の必要があるかという点。自殺の危険、他害により周囲に迷惑をかけたり、自分の立場を悪くしたりといった可能性がどの程度か考える。自傷他害の可能性があったらためらわずに入院依頼の紹介状を書く。
1114
分裂病慢性期の診察
?日常生活指導が中心。しかも、現状維持のための指導が大切。
?診察では「睡眠・食欲・便通・服薬」の確認を忘れない。カルテ記載時にはBPRSとSANSが参考になる。
?薬物は少しずつ変える。なるべく変えない。
【参考】
BPRS:Brief Psychiatric Rating Scale
心気的訴え
不安
感情的引きこもり
思考解体
罪業感
緊張
衒気的な行動や姿勢
誇大性
抑うつ気分
敵意
疑惑
幻覚
運動性減退
非協調性
思考内容の異常
感情鈍麻
興奮
見当識障害
SANS:Scale for the Assessment of Negative Symptom;Andreasen,N.C.1981
情動
思考
意欲・発動性
快感消失・非社交性
注意の障害
1115
Ward Behaviour Rating Scale
動作の緩慢
行動減少
会話
社会からの引きこもり
余暇活動に対する興味
独語空笑
奇異な姿勢と常同行為
脅迫的ないしは暴力的行為
排尿調節
身繕い
食事の行動
1116
診察時に着眼すべき領域
○状態像の点で
知覚……幻覚など
思考……思考形式・滅裂思考など、思考内容・妄想など
記憶……健忘など
知能……発達遅滞など
自我意識……離人、させられ、つきもの、自我境界の異常など
感情……そう、うつ、感情鈍麻など
欲動……意欲がわかないなど
意識……意識障害がないか
態度・表情・服装・疎通性・病識など
身体要因……身体診察・他科受診歴・検診などの検査結果
薬物……アルコールほかの薬物歴
○病歴・生育歴から
経過の特性……初発時期、初発状況、反復の仕方、持続期間
病前性格……典型的なものがあるか(分裂気質、執着気質、循環気質、ヒステリー性格など)
家族歴……遺伝負因を確認する
1117
診断に迷ったときは、「軽いうつ状態です」と言っておけばよい。患者も納得できる。
1118
帰属療法
attribution therapy
帰属とは、「失敗の原因を何に帰属させるか」という意味で、帰属療法は失敗の帰属のさせ方を変えてゆく認知療法の一種である。原因帰属転換療法とでも言えば内容が分かる。
うつ状態で過度に自責的になっているときは、失敗の原因を過剰に自己に帰属させている。また、攻撃的で他責的な場合には、失敗の原因を過剰に他者に帰属させている。こうした帰属スタイルの分析を通じて認知の傾向を知ることができる。たとえば成功は自分のせい、失敗は他人のせいと考える傾向の人がいる。こうした観点は内容として目新しいものではないが、方法として意識することには大変大きな意味がある。
1119
ST
感受性訓練 sensitivity training
集団精神療法のひとつで、Tグループとほぼ同じ意味で使われる。
1120
Tグループ
training laboratory in group dynamics
集団精神療法のひとつで、組織の中での対人関係やリーダーシップのトレーニングをしたり、集団力動を通じての個人の成長をめざす。病気の治療とはやや異質である。発病のきっかけとなることがあるほど侵襲性の強いものである。
1121
芸術療法
arts therapy
描画、コラージュ、紙粘土、粘土、陶芸、フィンガーペインティング、箱庭、さらには音楽、ダンス、心理劇、詩歌、写真などを含む芸術全般を利用した治療。大変有用である。
利点は、?言語チャンネルによらない治療である。無意識領域またはイメージ領域の治療ができる。?退行促進が容易である。(これは欠点でもある)?カタルシス効果がある。?自己表現は自分を見つめ直すきっかけになる。?治療者との関係を転換させる。
1122
ゲシュタルト療法
パールズ Pearlsが開発した心理療法で、ゲシュタルト心理学だけを背景としたものではなく、むしろ実存的療法や集中療法の言葉が適切な部分もあり、さらに精神分析と禅の影響もある。カリフォルニアのエスリン研究所でのパールズは自由で創造的な生活スタイルで周囲に影響を与え、現在はトランスパーソナル心理学の中でも発展的に生かされている。
「今ここの気づき」が基本であり、禅的な精神修養の色彩がある。パールズは「ミニ・サトリ」の言葉を好んだ。「今この瞬間」が強調され、気づきの促進、コンタクトの促進、エンプティチェア、ホット・シート、「自覚の連続体」の技法などを用いる。自覚や意識は自己自覚の領域、世界自覚の領域、空想領域に分けられるとし、病理の発生についても独特の理論がある。
1123
DSMでのうつと不安の分類
慢性軽度 軽度の病気 重度
うつ depressive 気分変調症 パニック
不安 不安 全般性不安障害(GAD) 大うつエピソード
重度の病気 軽度と重度の重なる場合
パニック障害 パニックにおいて予期不安が持続する場合
大うつ病 ダブルデプレッション(DD)
同様の軽症・重症分類を、分裂病系統でも考えられるかも知れない。
・陰性症状‥‥シゾイド人格障害、シゾタイパル人格障害、分裂病(単純型、破瓜型)
・陽性症状‥‥妄想型人格障害、分裂病(妄想型)
そうでは、軽躁と躁を分けて、BPI,BPIIに生かしている。
うつは、大うつとdepressiveで、depressiveは軽うつと言えばよいかも知れない。
笠原の軽症うつ病はこうした考察に生かせるかも知れない。
うつ、そう、不安、陰性症状、陽性症状、のそれぞれにわたり軽症タイプと重症タイプを区別して考えられるかも知れない。
1124
分裂病のタイプ
?エネルギー低下=空想産生機能低下‥‥単純型
?妄想産生=照合機能低下‥‥破瓜型・解体型(非体系的で一貫しないきれぎれの妄想)
?現実モデルのズレ=一貫した・体系的な妄想‥‥妄想型人格障害・妄想型分裂病?
??の違いはメカニズムとしては明白だが、臨床像としてどういったタイプであるか、不明確。破瓜型、妄想型、緊張型、単純型などでは足りない気がする。
?妄想産生低下
?ばらばらな妄想
?一貫した体系的な妄想
風景構成法ではどのように現れるか。
・風景アイテムの間の関係全体が失われている。連合弛緩。自然な自明性の喪失。現実モデルの喪失。=H型
・現実モデルのズレ。アイテム間の関係がずれている、壊れている。=P型
?風景構成喪失
?バラバラな関係が特徴の風景構成‥‥部分が妄想的、バラバラな妄想がある
?一貫した風景構成‥‥全体にひとつの妄想がある
空想は常に産生されていて、それを内部現実モデルと照合して、採用するか却下するか決める。却下された場合には意識にのぼらずそれきりとなる。照合・棄却機能が壊れている場合には、現実モデルに適合しない空想もそのままの形で意識にのぼる。
夢の場合には、照合・棄却機能が低下しているので、現実モデルに適合しない空想も夢に登場する。
分裂病妄想型と夢はこのようにして、類似の状態となる。
この他に、現実モデルが壊れている場合が考えられる。
1125
ケースワーク、ケースワーカー
casework,caseworker
ケースワークはソーシャル・ケースワークがより正確な言葉。ケースワークにあたる人たちのことをケースワーカー、ソーシャル・ケースワーカー、ソーシャル・ワーカーなどと言う。病院では「ワーカーさん」と呼んだりもする。SWと略称する。MSWはメディカル・ソーシャル・ワーカーで、医療関係のソーシャルワーカーを指す。PSWは psychiatric social worker で精神医学ソーシャルワーカーである。中国では「社会工作人」という言葉を当てている。
仕事の内容は明確に限定されたものではないが、患者さんの社会的な機能を補助することが多く、いろいろな実際面の相談に乗る。たとえば経済面での相談に乗り、生活保護をはじめとする役所での手続きを補助する。退院に際してアパートの契約を援助したり、家族関係の調整に動くこともある。地域の保健所や各種社会資源との連携も大切な仕事である。
1126
権威的態度、権威主義的態度
authoritarian attitude
権威を無批判に賞賛し、その一方で虎の威を借るキツネのように弱者に絶対服従を強いる態度。強いものにこびへつらい、弱いものをいじめる。ナチスドイツの時代のドイツ中産下層階級の人々のユダヤ人に対する態度が典型であると分析されている。
1127
元型
archetype
ユングの概念。分裂病者の幻覚妄想の内容は、正常者の夢や空想、伝承されている神話や昔話などと似ていることを見いだして、時代と分化を超えて人類が共有している何かがあるとユングは考えた。元型は集合的無意識の層にある人類に共通の認識・行動のパターンで、イメージになる前の表象可能性として蓄えられている。アニマ、アニムス、太母などがその例である。元型(archetype)の前には原始心像( urtu”mliches Bild )の語を用いたと河合は紹介している。原始心像のさらに元となる表象可能性として元型が考えられた。
さて、こうしたことを現代の脳科学の立場で見れば、人類の脳に普遍的な脳の構造があり、それはイメージそのものを決定しているのではなく、イメージの前段階のもの、さらに言えばイメージの構造を決定しているというわけで、まったく正しい説であると考えられる。
このように考えるということ自体が、元型の発現ではないかとも考えられる。
脳(心)の構造を考えるとき、そうした構造自体が自分の構造を考えているという、不思議な構図になっている。再帰的な構図である。その場合に、客体としての特徴と考えられているものは、そのまま主体の特徴であるかも知れず、しかしそのどちらとも決める必要はない。同じものだからである。
心が宇宙を考えるとき、ニュートン力学(客体)と神経生理学(主体)の一致の問題になる。この一致が進化論的に形成されてきたとローレンツは考えた。
客体としての心を主体としての心が考えるとき、原理的な「一致」が生まれる。
typeを考える思考法はプラトン以来の伝統である。プラトンはイデアと言い、ゲーテはタイプと言った。理想的で純粋な理念型であり、現実の存在はこの理念型の不完全なものである。この種の思考法は西洋の学問のあちらこちらに見られる。
1128
現実検討、現実吟味
reality-testing
自分の心の中にあることと現実とを照合して、一致するかどうかを検討吟味する機能。つまり外的現実と空想を明確に区別する機能。神経症や健常状態と精神病との最も大きな鑑別点である。どんなに現実に反した空想をしても、それが現実ではないことを知っていれば、問題はない。また、観念表象と外的知覚の区別で言えば、いま心にうつっているイメージが、心の中のものなのか、外的実在物の知覚なのかを混乱なく区別できていることである。観念表象と外的知覚の区別から幻覚と偽幻覚(ヤスパース)の議論が展開される。reality-testingの語をはじめて用いたのはフロイトである。精神の発達に伴って、現実検討が発達し、防衛機制も高次になる。
1129
現存在分析
Daseinanalyse
フッサールの現象学とハイデガーの哲学、フロイトの精神分析学、ヤスパースの精神病理学などを基礎とし、ビンスワンガーやボスを代表とする、哲学的色彩の強い人間学的精神医学のひとつ。日本では荻野恒一の本などが読みやすい。最近の精神医学は生物学的な方向に傾いているので、あまり重視されていない。読み物としては悪くないと思う。現存在とは現実存在の省略形で、別の省略をすると実存となる。
霜山によれば Dasein とは existentia (……がある)に由来し、essentia (……である)に対立する言葉である。世界内存在(In-der-Welt-Sein)である人間の存在のありさまを分析する。
ビンスワンガーの前提としてフッサールとハイデガーがあり、ミンコフスキーの前提としてベルクソンがある。
1130
攻撃性
agressivity
攻撃性の進化論的有用性についてローレンツは考察した。集団内での序列やなわばりの確定について攻撃性が役立つ。序列やなわばりがあるから、集団は維持される。
現代の診察室では、攻撃性が実は高いのに、社会的に抑制されていて、そのせいですっきりしない気分だと訴える人が多い。結局、合理的な解放の仕方を身につけるしかないだろう。発散すればいいはずだと会社で攻撃性をまき散らしていい結果が得られるかどうかは保証できない。自己主張訓練などが有効な場面は限られているように思う。
1131
行動化
acting out
精神分析療法では主に言語によって治療がすすめられるが、ときに言葉によらず行動によって自己の何かを表現することがある。これを行動化と言い、沈黙、キャンセル、遅刻から暴力、自殺未遂、性的関係まである。それは患者からのメッセージであるから、その行動の意味を治療の中で取り上げていけばよい。
精神分析で正確な用語として用いる場合には上のような意味であるが、一般の診療場面で「行動化」と言う場合には、「問題行動を起こした」という程度の意味の場合も実際にはあると思われる。
人は葛藤に悩むとき、?内面化・言語化、?行動化、?症状化などをする。言語化はあれこれ考えて内面で悩むこと。行動化は極端な場合には暴力や自殺未遂などの行動の形で悩むこと。症状化は転換ヒステリーや解離ヒステリーなどのように症状の形で悩むことである。もちろん、それぞれが独立ではなく重なる場合も多い。
内面が未成熟なために言語化して悩むだけの用意がない場合には行動化したり症状化したりする事が多い。言語化して悩むことができるように、言葉による表現を豊かにすることが大切であると思われる。
1132
行動療法
behavioral therapy,behavior therapy
行動主義心理学を基礎とした治療法。条件付けや学習の理論をもとに、恐怖症、強迫性障害、夜尿症などの治療を行う。系統的脱感作法による恐怖症の治療と、排尿に伴いベルが鳴る方式の夜尿症治療は一応分かりやすい。強迫性障害に対する行動療法は、米国で有効とされている。確認行為は五回までにするとか、治療に役立つ規則を実行する。また、いろいろな儀式やルールが患者を縛っている場合には、そのルールを破ったとして不安が小さいものから大きなものまで表にして、不安の小さいものから順にやめるなどの対策をとる。
1133
幸福
患者さんは人生をどのように生きたらよいか悩んでいることも多い。神経症や精神病があってもなくても、これから先どうするか、今のままでよいのか、そんな話になることがしばしばある。結局は患者さんにとっての幸せは何かということになる。
そんなとき、病気のせいで考え方や感じ方に偏りが生じている場合には治療者は指摘することができる。もうすこし待った方がいいですよとアドバイスすることはできる。しかし本質的に患者さんが自分の幸せは何か、人生の選択にあたってどのように価値判断するか、そのような場面で治療者として寄り添うことには特有の難しさがある。突き放してもいけないし、治療者の好みを押しつけてもいけない。寄り添いすぎて巻き込まれてもいけない。無反省な治療者ほど悩みは少ないと思う。
何が幸福かなどは誰にも分からないことだと達観するのもよいかも知れない。それほど人はさまざまである。
患者は長く治療を続けていると主治医に何となく似てくることがある。いいことでもあるだろうが、悪いことの可能性もある。いい影響ならば結局患者さんに利益だと考えられる反面、いい影響という価値判断は確かなのかと常に疑問が残る。それならば治療以外の影響は与えたくないとの立場もあるだろうが、精神療法を行う限りそれは矛盾をはらんでいるとも言える。
結局、いつも反省しながら、最善の道は何かを考え続けることだろう。物事の片面しか見えなくなっているときは危ない。「この判断でいい」と自信があるときは、事態の片面しか見えていない可能性がある。
1134
病気の種類
他科の医者は「精神科は楽でいい、診断は三つしかない、分裂病と神経症と躁うつ病だ」とふざけたりする。もちろん、DSMでもICDでももっとたくさんあるので事実ではない。
精神科の病気の種類は非常に正確に言えば、人の数と同じだけあるだろう。とても乱暴なありえない仮定を言えば、似た症状の人に同じ薬を出しても許せるが、同じ精神療法で同じ言葉ということはあり得ない。つまり似ていてもそれぞれ違うのである。結局どのレベルで共通と見て、どのレベルで違うと見るかということだ。診断は三つしかないというのは、人間には男と女の二つしかないというのと同じ意味しかない。男はみんな同じではない。外科は切るか切らないかの二つしかなく、皮膚科はステロイドを塗るか塗らないかの二つしかないなどと言えば、やはりどうかしている。
1135
合理化
自分に言い訳をして自分を納得させようとすることで、「酸っぱいブドウ」と「甘いレモン」がある。
酸っぱいブドウは、自分の望みが実現できなかったとき、「そんな望みには価値がない(あのブドウは酸っぱい)」と思うことによってあきらめようとすること。
甘いレモンは、自分の現状を考え直してみると、思ったほどにはひどくはない(酸っぱいと思ったが、意外に甘いレモンであった)と考えて納得しようとすること。
たとえば第一志望の会社に採用されなかったとき、「あの会社は本当はひどい商売をしている、行かない方が自分のためだ」と慰めるのが酸っぱいブドウで、「第二志望の会社は世間で思われているよりは居心地がいい、やる気のある自分にぴったりだ」と思うのが甘いレモンである。
1136
強迫症回路
心臓の神経伝達系で、リカレントがある。ループを作ってしまい、常同的刺激が続く。同じことが脳で起これば、同じことが何度でも反復される症状となる。そのひとつがたとえば強迫症である。再帰的回路で説明できる現象がいくつかあるのではないかと思う。てんかんの一部は当然として、そのほかには強迫症、自生体験、幻覚妄想の一部もこうした回路を想定すべきかも知れない。
1137
交流分析
→心理テスト部門
エゴグラム、やりとり分析、ストローク、ディスカウント、時間の構造化、ゲーム分析、人生の脚本分析。
1138
五月病
May sickness
大学新入生や新入社員が五月の連休後くらいに無気力と生きがい喪失を中心とする状態を呈すること。新入生の0.5〜1%に発生し、数カ月のうちに元に戻ると報告されている。背景にはアイデンティティ拡散の問題や急激な環境変化に対する適応不全があり、一部はうつ病や分裂病の軽症例であり薬剤が必要であると考えられる。
新入生の五月は、大学の先輩を見て自分の将来が見えてくる時期であり、同時にサークルや恋人との関係で対人関係の蓄積を問われる時期でもある。子供から大人へと行動パターンの改変を要求されるので精神的危機が発現しやすい時期であると言える。この危機を狙って各種の集団が待ち伏せしている。したがって学生への啓蒙が大切である。
1139
自己一致
(self-)congruence
自分の表と裏、内面と外面、感情と行動、ありのままの自分と自己イメージ、これらが矛盾なく一致している状態。ロジャーズはカウンセラーの態度として必要な第一の条件として自己一致をあげている。クライエントはカウンセラーの自己矛盾を敏感に感じとるからである。カウンセラーの中に自己一致の態度があれば、クライエントもまた自己イメージとありのままの自己が一致する方向にカウンセリングを通して導かれる。自己矛盾の状態から自己一致の状態へと導くことが来談者中心療法の目標である。そのためには不適切な自己イメージをいったん解除して、ありのままの自己を自己イメージとして受け入れることがはじめに要請される。
(しかし、「ありのままの自己」を認識することは難しい。自分がありのままの自己をイメージすれば、それは自己イメージであるし、治療者がイメージすれば、それは治療者に映った患者イメージでしかない。ありのままの自己はどのようにしてとらえられるか、難問である。ひとつの解決は、多数の知人による患者イメージの総和をありのままの自己とすることで、これは社会の中に映っている患者像である。客観的といえば客観的であるが、それを「本当の」自己とは誰も考えないだろう。しかし考えてみれば、実際に存在するのは、自己イメージと、他人によりもたれている患者イメージしかないはずである。ありのままの自己などというものは考えても仕方のないものなのかも知れない。こうした事情から、とりあえず、治療者から見た患者イメージをありのままの自己としてよいと思われる。)
1140
コンプレックス
complex
日常会話で「コンプレックスを感じた」と言えば、「劣等感を感じた」という意味である。学術用語としてのコンプレックスは無意識層の複合体という意味で、ユングが用いた。
ユングは言語連想実験をして、刺激語に対する反応語の出現までの時間を計測した。反応時間が長いものは無意識の抵抗があったと考えられた。そして抵抗のあるところに心の問題があると推定された。そのように推定された心の中の問題をコンプレックスと名付けた。反応の遅れを示した複数の言葉が示唆する無意識の問題が心の中で関連を持ってまとまっている、その様子をコンプレックス(複合)と表現した。しかしその後は心の中の問題点という程度の意味で用いられていることが多く、エディプス・コンプレックスなどという。この場合は言語連想実験とは関係がない。
1141
催眠療法
hypnotherapy
昔からある有名な治療法であるが、現代ではあまり用いない。無意識の存在を示す証拠ともなった。しかし効果が不安定、不確実であり、自我の脆弱な人には危険でもある。被暗示性の高い人は催眠にかかりやすいが、被暗示性の高さ自体が問題なのに、それを利用して当面の症状を消しても治療と言えるのかとの反省もある。また一方では人間の被暗示性を利用した大規模な集団催眠などもある。マイルドな形ではセールストークやコマーシャルの場面で利用されることもある。意志決定の主体がどこにあるのか、問題がある。
自律訓練法は自己催眠の一種である。自己催眠では主体は自分にあるから、あまり問題は生じない。
1142
自我 →没
ego
?
self 自己 客体 me
ego 自我 主体 I
自己と自我を区別して用いる場合には、表のように区別している。
?フロイトの自我
イド(またはエス)とスーパーエゴの調整をするのがエゴである。
?ユングの自我
ユングは自己に特別の意義を与えている。
?社会的自己論
外的客我(他人の目から見たme)、内的客我(自分の目で見たme)、主我(主語となるI)の三つを総合したものが自我であるとする見解。
(→解説がまずい。途中で自己と自我がねじれている。)
?エリクソンのego identity
性アイデンティティや職業アイデンティティなどの各種のアイデンティティを統合して成立するのがエゴ・アイデンティティである。
1143
時間の構造化
time-structuring
交流分析の基礎理論のひとつ。人は対人交流を、接触欲求、承認欲求、時間の構造化の欲求と発展させる。接触欲求はスキンシップのこと。承認欲求は周囲の人から存在を承認される欲求。時間の構造化の欲求とは、生活時間を調整して(つまり構造化して)他人との時間を過ごそうとすること。?引きこもり?儀礼?活動(仕事、家事、勉強など)?雑談?ゲーム?親交の順に次第に密度の濃い交わりになる。
「時間の構造化」という言葉がやや分かりにくい。しかし?〜?の区別はデイケアなどでの時間の過ごし方を見ているとよく納得できる。?はデイケアではたとえば軽作業に当たるが、患者さんたちが適応できるのは引きこもり、儀礼、軽作業、ゲームあたりまでで、雑談と親交になると難しいようである。ゲームといっても、儀礼の延長のようなゲームから、親交の実現としてのゲームまであり、デイケアの患者さんたちには儀礼の延長としてのゲーム程度がちょうどよい。つまりデイケアの患者さんたちに可能な時間の構造化は???までで、ときに雑談ができる程度であろう。??は難しい。
1144
共感の危うさ
他人のことが「分かる」時、それは単なる投影ではないかと疑う必要がある。
たとえば歴史小説で人物の気持ちが「分かる」時、本当に何が分かっているのか、考えなければならない。
1145
戦争はなぜいけないか
戦争では利他的で勇敢で倫理の高いものが死に、そうでないものが生き延びる。種にとっては大変な損失である。
1146
陽性症状と陰性症状
これは難しい。実際にあるものは何なのか、確認できないうちは何とも決められない。それまでは思弁に過ぎない。
インドの思弁のようである。卑怯さがあると言っても、勇敢さの欠如と言ってもいいはずである。これは言葉の問題である。実際の脳の構造ではないだろう。
たとえば、幻覚妄想は陽性症状であるが、現実照合・棄却機能の欠如ととれば、立派な陰性症状である。
1147
身体性と脳
身体のない脳は脳として不十分なものである。脳の一部である神経は全身に伸びて機能しているのであるから。
涙が出るから悲しいという言い方には疑問があるが、身体性を剥奪された脳はやはり不完全である。
1148
自分がいかなるものであるか、他人の判断はどうなっているのかを調査してもらう人がいるという。それが最近の調査業務の一部であるとのこと。自分とは何かを自分で決めるという自信がない。傲慢さがないとも言えるだろうけれど。
「自分」という概念は社会の中で形成されるものである。
1149
病理の性質と場所
場所による病理を考えれば、各人各様である。
1150
サイクルの観察
古代人の暦の知識。サイクルの観測は面白い習性である。
1151
分裂病の本質を推定する手がかり
病前性格
思春期発病
ストレスにより再燃
再燃を繰り返していれば再発しやすさが高まる
レベルダウンがある
1152
生け贄の意味
神または超越者との取り引き。人間に普遍的な思考。
1153
妄想産生のピークと恋愛・性的エネルギーのピークと、幻術的産出性のピークが人生の中での時期として重なること。
1154
緊急反応
アドレナリン上昇→パニック
→離人感
の可能性を探る。
パニックの別の形であるという解釈。そして根はアドレナリンの急上昇。?
1155
自己開示
self-disclosure
本当の自分を自分で表現すること。カウンセリングの目標のひとつ。自己開示できれば、自己を見つめることも、カタルシスも期待できるだろう。
「素顔のままのあなたを受け入れる」と思っていてくれる人がいてはじめて人は自己開示ができる。自己開示の相手ははじめは母親、次には同性の友人、次には異性の恋人、配偶者などと年代によって変遷する。
自己開示とおおげさな言葉をあてるからにはその内容は普段他人には言わない重大なことである。したがって自己開示はうっかりしてしまうと危険なものである。
自己開示できない状況が孤独である。
本当の自分はひとつであるとは限らない。多面体である自分を自己開示しようとするとき、一人の人がすべてを受け入れられるわけでもないだろう。配偶者は一部分を受けとめ、愛人は他の部分を受けとめる、といったように部分的自己開示を複数者に向けている場合もある。不倫に悩む人の一部は、自分が自分であるために不倫が必要なのだと語る。この事情も自己開示の必要によって説明できる面があるかも知れない。
カウンセラーは自己開示を受けとめられるだろうか。クライエントにとって自己開示することがどれだけの大仕事であるか、どれだけ危険なことであるかを理解しているなら、カウンセラーの責任の重みも納得されるだろう。
1156
自己実現
self-actualization
「本当の自分」を実現すること。ロジャーズ、マズロー、ユング、ホーナイなどの考え方。何が「本当の自分」であるか、実際には明らかではないのが問題であるが、社会的にも成功した人物が晩年に至り俗世の栄光をさらりと捨てて、いよいよ本当の自分に向かって歩み出すという感じである。
1157
ロゴセラピー
Logotherapy
=実存分析療法
生きる意味と苦悩の意味を見つめ直すことによる精神療法で、フランクルが唱えた。logoとは意味や言葉のこと。
「夜と霧」でフランクルが書いたように、アウシュビッツの極限状況においてもなお、生きる意味がはっきりと分かっていた人は生き延びることができた。人間にとって意味と価値が本質的であるという指摘である。しかし現代日本、とくに東京の外来ではあまり有効ではないようである。内省的な人が自分からフランクルの本を読んでいたので、面接の話題として取り上げ、有効だったことはある。時代と状況に応じて、有効な精神療法も違うようである。逆に、どのような精神療法が有効かによって、時代の雰囲気が分かることもあるだろう。
1158
主張訓練法
assertiveness training,assertion training
=断行訓練法
抑圧が神経症の原因なら抑圧を解除すればよい、そのためには自己抑圧をやめて、自己主張するようにすればよいとする考え方から出発した。自分の権利、思考、感情を主張することは同時に相手の自己主張も尊重することであるとされる。訓練としてはロールプレイなどを用いる。たとえば相手を思いやる気持ちは持っているのだがそれを表現する習慣に欠けているために、思いやりが伝わらない場合がある。そんなときにロールプレイなどで自己表現の方法を体得してもらうのが有効である。
安易な自己主張は他者軽視に結びつくことがあるが、主張訓練法ではあくまでも相互理解を促進するために自分の内面を表現する。
1159
集合的無意識
colletive unconscious
ユングは無意識を個人的無意識と集合的無意識に分けて考える。個体発生の過程で獲得された無意識が個人的無意識であり、系統発生的に獲得された無意識が集合的無意識である。集合的無意識には元型が保持され、それにはアニマ、アニムス、太母などがある。
1160
アニマ
ユングの概念で、男性の集合的無意識の中の女性性。反対はアニムス。
1161
アニムス。
ユングの概念で、女性の集合的無意識の中の男性性。反対はアニマ。
1162
太母
=グレート・マザー
ユングの概念。集合的無意識の層にある強力な母性で、育てる力と呑みこむ力を持つ。
1163
シャドウ、影
ユングの概念で、意識の層である自己イメージを選択すると、それに対立するイメージは無意識層に抑圧される。選択されずに抑圧された自己イメージをシャドウと呼び、個人的シャドウと普遍的シャドウを区別する。個人的シャドウは個体発生の過程で抑圧されたもので、普遍的シャドウは系統発生の過程で抑圧されたものということができる。
1164
受容
acceptance
カウンセラーがあるがままのクライエントを無条件に受け入れること。他者に無条件に受容されるという体験には人間を変える力がある。それまでの人生で、無条件の受容を経験してこなかった人の場合には特に大きな影響を及ぼす。
ただし、こうした受容が有効かどうかを見極める力を持たないと、悪い結果を招くこともあり、カウンセラーとしても危機に至ることがある。こうした見極めに専門性が発揮される。
1165
情動 →要再検
emotion
emotionの訳語として、情緒が一般語であるが、motionを明示する専門用語として情動の語を用いる。一時的で強烈な、身体の生理的変化を伴うことも多い感情を指す。affect は(感情としか言いようがないが)一時的な感情を、mood (気分)は長時間持続する感情である。感情 feeling はもっとも一般的な言葉である。気分は気候にあたり、affect はその日の天気にあたる。emotionは突然の大雨。
1166
神経症
neurosis,Neurose
時代により、国により、立場により、少しずつ違った意味を含むので、文章の読解にあたっては筆者の立場を頭に入れておく必要がある。しかしそんなことができるのは専門家だけで、一般読者は筆者の立場を知りたいから読むはずである。
大まかに言って、神経症の語は、最初極めて広範な意味を持ち、フロイトに至りかなり限定された意味になり、DSM3Rでは解体されてしまった。
日本語の「神経症」は、一般語としては「神経系の病」というほどの漠然と広いものから、狭くは「器質的裏付けの得られない永続的な主観的不調状態」のことである。
現代の日本の医者の言葉の使い方としては、神経症とは「非器質的な、心因性の疾患」というあたりを中心にしているだろう。
心因性歩行障害、心因性失声症、心因性強迫症、心因性離人症、心因性解離性障害、心因性転換性障害、心因性うつ状態、心因性不安状態、心因性恐怖状態、心因性心気症などと言えばよいのだろうが、まとめて神経症と呼んでいる。
神経症の概念はフロイトの無意識と抑圧の概念と密接である。
1167
コンピューターのメモリーからメモリーへ情報を転送することと、人から人へ言葉で情報を伝えることは等価である。
言葉は脳への操作なのだとはっきり意識すること。脳にメスを入れているのと同じである。
言葉による脳の外科手術ができるのだ。
脳腫瘍は切除できないが、不安を操作できる。GABAやDAの粒を操作するイメージである。
1168
文化の進化
ある考えが生き延びるのは、他の考えよりも優秀であるからという場合もあるが、他の考えを殺す性質があるから生き延びる場合もある。たとえばある種の宗教。
このような状況は、試行錯誤の特有の限界点に寄生するもののような気がする。
1169
脳は神経細胞のネットワークである。
社会は人のネットワークである。
神経間の情報伝達はシナプス部分の神経伝達物質が担う。人の間の情報伝達は、言葉やその他が担う。
人間は情報を受け取り、解釈する。ここに過敏さも鈍感さも生じる。言葉の裏側にあるものや隠された意味を感じとってしまう。
明示的な意味の体系と、暗示的な意味の体系がある。暗示的は暗黙的なと言ってもいい。アメリカ人は明示的意味をやりとりしてのビジネスが好きだ。日本人は暗黙的な意味を交換しつつの人間関係が好きだ。
神経伝達物質にも偽伝達物質がある。言葉やシンボルにも偽物がある。
1170
道徳的判断などは特に高次で総合的な判断であるから、難しい。
医者の仕事も、ただ体にいいか悪いかだけならば判断は比較的単純であるとも言える。しかし生活全般や人生の価値の判断などが絡んでくると複雑になる。精神科のカウンセリングの困難がここらあたりにある。判断のレベルが病気の説明や治療だけにとどまれば専門性も発揮しやすいし、結論までは一直線である。しかし患者の人生や家族のことまで視野に入るようになると直線的・単線的な判断では不足になる。そして、一応の結論は出るとしても、いつも疑問を残しながらの仕事になる。
ここで無責任になることなくどのように誠実に対応できるか、実に困難な問題がある。
1171
ストレスについて
ストレスとは何かという問題についてはいろいろな立場のいろいろな見解があり、どれにも相当の理由がある。
ここでは思い切って簡略化して提示する。
ストレスとは、端的に言って「いやなこと」である。とても原始的な場合で考えると、原っぱで熊と突然出会ったときがストレス状況である。恐怖や不安が生じて、心理的にも身体的にも反応する。
人はストレスにさらされたときに、逃げ出すか戦うかどちらかの反応をする。熊がとても強そうな場合には逃げる。戦って何とかなりそうな場合には戦う。
逃げたり戦ったりするときには飲まず食わず眠らずで必死に動きまわる。血圧は上昇、脈拍は速くなり、血液は筋肉に集中する。その影響で、脳の血流は少なくなり、物事を緻密に考えることはできなくなる。そのようにして緊急対応して、熊から逃げ切ることができたら、そのあとでゆっくり食事をして眠ることになる。だから現代でもストレスにさらされると、心臓はドキドキするし、正確に考えられなくなり、食欲はなくなり、不眠となる。
熊と出会うタイプのストレスの場合にはこれで良かった。逃げればそれで危険はなくなった。せいぜい一日くらい全力で走ればよいだけであった。ところが現代ではストレスは一日でなくなることはない。たいてい持続的である。仕事も家庭も一日全力で何かしたからといって、ストレスの源がなくなるわけではない。
人のストレス対処法は緊急対応型であって、全力で逃げるか戦うかどちらかを選択するようにできている。これは原始的な生活場面ではとても適切であった。しかし現代ではストレスは持続性である。人が身につけている対応法方は対処として不適切である。
ここから心身症が発生する。
本能の命令は「逃げろ、さもなければ戦え」と言っているのに、どちらもできず、ただ耐えているだけである。
1172
法律の解釈
法の主旨を汲んで生かそうとする態度と、すれすれの道や抜け道を探そうとする態度がある。たとえば、なるべく道の真ん中を走ろうとする人もいれば、道の端のすれすれを走ろうとする人もいる。
法の主旨は道の真ん中である。
1173
患者よりも知性も感情も倫理も劣る治療者には、治療が可能であろうか?
病気を治療するのであれば、患者よりも何かが劣っていても、問題はないとも考えられる。
しかしながら、そうだろうか?
治療をするのか、成長を促すのかの違いでもある。
治療と教育と言っても良いだろう。
1174
いじめによる中学生の自殺
1175
青年の引きこもり
1176
主婦の台所飲酒癖
1177
中年サラリーマンの出社拒否
1178
引越うつ病
1179
昇進うつ病
1180
定年後の不適応
1181
引退直後の死亡や老年痴呆
1182
熟年離婚
1183
幼児・老人の虐待
1184
身体病に伴ううつ状態
1185
ドグマによる解釈の危険と弊害
精神的不調の原因は幼少時のトラウマである、特に虐待であるとする最近の説。→駆け出しの無学者は最新説の華々しさに幻惑されるものである。時間がたたなければ、自分と現在を相対化することはできないものである。しかしそれでは患者はどうなってしまうのか?仕方がないのか?本当に困った問題である。現状では誰もそのようなひとりよがりを阻止できない。
1186
精神病と神経症の違い
精神病は病識がなく了解不能である。神経症は病識があり了解可能である。これはヤスパース以来の考え方であるが、問題がある。
しかし了解可能性は結局、解釈する人の心理や能力に依存する。また、病識に関しても問題がある。ピントのずれた病識や病感ならば持っているだろう。しかしピントがずれていると判定するのは結局は解釈者である。それもまた解釈者の能力に依存してしまう。
本当に困った問題である。
強迫神経症は了解可能ですか?パニック障害は了解可能ですか?不可能でしょう。
たとえば、現実検討能力を基準とすれば、強迫性障害やパニック障害は神経症になる。しかしこの場合も微妙な場合がいくらでもある。こうしたことはつまり、精神病と神経症の区分が無効であることを示しているのではないだろうか。
特に最近は、精神病の軽症化が言われる。つまりは精神病が神経症の装いを持って現れるということだ。
考えてみればこれはおかしい。神経症のように見えて実は精神病であるというなら、その判定の基準はどこにあるのか。表面上は神経症でありながら、その奥には精神病があるというわけだから、神経症と精神病を単純に二分しているわけではないのだ。もう少し立体的な見方をしていることになる。
97年3月6日
1187
心に関する外国の理論は日本でも正しいのだろうか?
これは科学の普遍主義と関係する。腎臓や心臓の解剖は同じでも、食べ物や習慣が違えば病気も違う。脳の構造は共通でも、言葉や生育や習慣が違うのだから、「中身」は違うのだ。
1188
精神病と神経症の原因の分類(安藤春彦による)
性格因=従来の心因=神経症
原因不明=従来の内因(分裂病・うつ病)
身体因=従来の外因(脳疾患と他臓器疾患)
新しい提案は、「心因というものは誘因に過ぎない、実質は性格因である」と割り切る点。しかし分類の大枠は変わっていない。言葉を言い替えただけとも見える。
心因ならば外部に原因があり、性格因ならば自分の内部に原因がある印象を与える。こうした言い替えの意義は、神経症の原因は患者の内部にあるのだと明示する点にある。
ストレスに対して神経症で反応してしまうのは特有の弱さが素因としてあるからだとする。同一のストレスに対して、適応できる人、神経症で反応する人、精神病で反応する人の別がある。それは素因の違いである。
1189
独りよがりの診療
精神科の診察室は密室であることが多い。パブリックな批判にさらされることがない場合も多い。そんな中で、独りよがりになることを回避する工夫が大切である。
独りよがりを防ぐことが科学的態度であるとも言える。
1190
精神医学の客観性
診断と治療に際して、やはり求められる水準がある。それは見える人には見える。見える人はその基準をクリアできることが多いだろう。見えない人にはどうしようもない。
ある医師は「僕と接するときには患者は……だよ」と報告する。別の医者は「僕と接するときは全く違っていて、……だよ」と報告する。どちらも客観的である。こうした事実の総合として、診断と治療がおこなわれる。
今自分に見えている事実は「部分的な事実」なのだと自覚していれば大きな間違いにはならないのではないか。部分的事実を総合すれば全体の事実である。医師は部分の事実から全体の事実を推定する。
これは内科でいう客観性とはまた意味が違う。内科でいう客観的とは、どの医者が操作しても同じ結果が出るということだ。精神科の場合には医者によって違った結果が出る。しかし客観的という言葉を少し拡張して上のように考えればよいだろう。
内科でいう主観的診断は精神科でも排除されるべきである。感覚的な経験を洗練するのが科学である。精神科の場合にもそのような洗練は可能である。
1191
向精神薬服用に反対する人たち
薬をのむと「ダメ」になる、依存する、ぼける、心の問題だから薬は関係ない、などなど。このように信じている人たちに説明してもうまく納得してもらえないだろう。本当に困る。説得と対話または受容で回復するのならそれに越したことはないに決まっている。そんな次元の低い話ではないのに、どうして分からないのだろう。脳と心の問題を話し合うような場合でもないだろうし。
たとえば、数学で、a(b+c)=ab+cではないのだ、ab+acなのだと説明するようなものだ。どうしようもないではないか。違う世界に住んでいるのだ。
1192
経験の浅い人はすぐに「最新理論」などに飛びつきたがる。軽度の洗脳状態にあると言ってよいだろう。自分は最先端を行っていると思えば気持ちは膨らむ。革命的な新理論だと陶酔してみたりする。
初学の人の場合には仕方がないし、そのようなことを繰り返して、だんだん本物の専門家になってゆく。今度の最先端はあの時の焼き直しかなどと見通せるようになる。
精神医学では伝統的に最新の哲学の動向に影響されてきた。また、アメリカの社会情勢に影響を受けた理論を鵜呑みにしてもきた。若い世代はその時々の流行に踊らされ、時間がたって、自分の立っていた位置が次第に理解できるようになる。
学問の世界ならばそれが普通で、特に問題もない。臨床医学の場合の問題は相手が患者さんだということだ。医者の側からすれば毎日の業務で成長の一過程かも知れないが、患者さんにすれば一生に一度の大病である。若い医者は仕方がないとは言っていられない。そこで、上級指導医との共同作業が必要になる。患者さんは常に最善の医療を受ける権利があるだろう。
1193
精神療法
専門性が分かりにくい。外科手術は専門家でなければできない。医者ではないのにできると言っている人を誰も信じたりはしない。しかし、精神療法についてはそうではない。
カウンセラーと称して、占いのようなことを言っている人もいる。三年以内に運は上昇するとか。このような現実に直面すると、私は生きる世界を間違えたのだと思いたくなる。この世界しかないなんて、受け入れがたい。
専門の勉強ではなく、人柄が問題だとの考え方もあるだろう。それも一理ある。心理療法家は変な人が多いから、自分が何か悩んでいたとしても決して相談などしたくないと、個人的には思う。
精神療法といえば、受容と非指示と自己洞察だと心理学科では教えている。それでいいこともあるが、それでは治療的でない場合も多い。どんな場合にそうか?それが専門家の判断が必要な場合のひとつである。
非常にたくさん勉強した人と自称カウンセラーとの違いがあいまいで社会的に認知されないとしたら、残念である。しかし現実には誰も理解しない。外科手術のような明確さがない。要するに話してもらえばいいのよ、慰めてあげて、受容すればいいんでしょう、私は患者さんに人気があるの、などと言われるとがっかりする。
実をいえば、外科手術でも似たような事情はあるだろう。手術の腕は大したことがなくても、うまいようなふりをして宣伝することはできる。どの程度の困難な手術であったのかは、容易には分からない。
そのように考えれば、外科医がうらやましいということでもない。結局人間の世の中がこのようにできているということだ。人間はこのような世界に生まれて死んでゆくのだ。自分達が作ったとは言えないが、しかし、誰か人間以外の何かから押しつけられたものでもない。先祖から伝承したものだが、先祖に責任があるわけでもない。このようなどうしようもない世界でどうしようもない人生を生きるしかないのだ。
1194
壮快などという健康雑誌が毎月のように一円玉健康法などの民間特殊療法を紹介・特集している。これが国民の健康に対する考え方である。それ以外ではない。仮想的理想国民がどこかにいるわけではないのだ。テレビのバラエティを見て、タレントの言葉を信じる人たちが、同時に我々の患者なのだ。どうする?どうしようもない。
1195
性格と人格
特に区別しないで、行動・感情・思考の特性を指す場合もある。区別する場合には、性格は基礎的で部分的で生得的、人格は高次で全体的で後天的と考えられる。たとえば、攻撃的性格、積極的性格、加虐的性格などは先天的に持って生まれたものであり、性格と呼ぶ。DNAの話である。それらをどんな場面でどのような形で発揮するかをコントロールするのは後天的な学習によるものであり、このようなコントロールを司る働きが人格である。
子供の頃に大変乱暴であった人も、人格が成熟すれば、その乱暴な気質を発揮する場面を選ぶようになる。
遺伝子のレベルで規定された性格というものも、ある程度はコントロールできるのである。これに人間にとって大きな救いである。だからこそ、教育は重要である。状況判断の方法を授けなければならない。どの判断はよかったか、どの判断はよくなかったか、明確に教育することが必要である。
1196
心の問題はストレスが原因だというとき、「原因」という言葉の意味はどうなっているか、吟味する必要がある。
1197
単細胞キノコと多細胞キノコ
生育環境が良好で、単細胞で充分に生きられる場合には単細胞で生きる。環境が劣悪になると、多細胞となり大きなキノコとして生きる。その場合は、個々の細胞は茎になったり根になったり傘になったりする。
人間も同じだ。環境が劣悪になると集団主義に傾く。
集団主義の方が強い。しかしわがままは言えない。生きるために自由を手放すのである。
単細胞生物の心の病理はイントラサイキックである。個体の内部で病理は発生する。フロイトの時代である。
多細胞生物の心の病理はインターパーソナルである。集団となったときに個体間の関係の病理として発生する。これが現代である。主に対人関係の場面で病理は発現する。
逆に考えれば、現代はそれほどに人間が個体として生きられない時代になっているということだ。
コンピューターでいえば、スタンドアローンのコンピューターはほとんど役に立たないということだ。他のコンピューターと結びあって、情報交換を受ける、加工して、発信する、このようなものでないとコンピューターとしては充分ではない。
スタンドアローンコンピューターのイメージとしては、個人的な日記帳のようなものが考えられる。個人的な日記帳の中で発生する病理はフロイト的で、イントラサイキックである。個人心理の中で完結している。
受診、加工、発信のモデルはSSTの人たちが使っている。なるほど、彼らはインターパーソナルなモデルを採用していることになる。対人技能であるから当然である。
マスコミの発達は、人間を情報端末のようなものに変えてゆきつつある。
しかしながら、人間の精神として、イントラサイキックな部分も大切なはずである。内省の時間といってもいいだろう。
1198
患者さんが自分の部屋ではよく眠れないが、知り合いの部屋やクリニックではぐっすり眠れると言っていた。不思議なものだ。自分を守るという点では自分の部屋で鍵をしっかりかけていれば最高のように思うが、そうではないらしい。他人がいた方が安心できる。そんな心理が病者の中にもあるのだろうか。
1199
患者が精神科医に求めるものは、診断と治療である。正確に把握して具体的に対処することである。ともに泣いてくれる人が欲しくても、それは精神科医の提供するものではない。
診断と治療をおろそかにしてただ同情だけをする治療者はどうだろうか?
たとえば、「夫が浮気をして遊んでいるのだから、私も少しは遊んでいいですよね、先生どう思います?」などと語る患者がいる。医師として何を提供できるのか、よく考える必要がある。
1200
レム期とノンレム期
レム睡眠は体の睡眠、ノンレム期は脳の睡眠とも言える。
レム期には目が動いて、脳は活動している。体は筋肉が弛緩している。この時期に目が覚めてしまうと、金縛りの状態となる。レム期に目を覚まさせると夢を見ていることが多い。まぶたを見ていると目がきょろきょろ動いているのが分かる。
ノンレム期には脳は活動停止している。
下等生物の場合にレム睡眠は見られるが、ノンレム睡眠は少ない。ノンレム睡眠は脳が高度に発達してから生まれた、高次皮質の睡眠であると考えられる。赤ん坊ではレム50%であり、成人では睡眠の大部分がノンレムである。レムは脳幹部があれば成立するが、ノンレムは大脳皮質が発達してから起こってくる眠りである。
睡眠の順序としては、入眠するとノンレム睡眠が始まり、レム期第一期から第四期に向けてだんだん深くなる。次に四期から一期に向かい、その後でレム期が訪れる。そして再び一期となり、四期に向かう。
ノンレム1→2→3→4→3→2→1→レム→1(以下繰り返し)。この周期がおおむね90分である。
レム期
1 入眠期
2 浅い睡眠……居眠り。声をかけると目覚める。
3 中等度睡眠……すやすやと寝息をたてる安らかな眠り。少し呼んだくらいでは起きない。
4 深い睡眠……つねっても起きない。何度も揺り動かすとやっと起きる。
入眠後すぐは第四期が長い。つまり睡眠が深い。レム期は短い。朝方になると第四期は少なくなり、レム期が長くなる。